
告白
2014年2月
私達家族は最大のピンチにみまわれた。
妻(マネージャー)に乳ガンが見つかり、4月に手術を受けることが決まる。
更に愛犬のプーロンも乳ガンが再発して3回目の手術をすることになる。
妻は父親を肺ガンで亡くしており、その苦しむ姿に直面していることから、ガンへの恐怖心が強く、精神まで病んでしまう。
人生のどん底を感じた。
しかし、手術を乗り切り、退院後もガンと向き合い、闘う術を探して元気になった。
愛犬のプーロンはというと、妻の思い入れが強く、『どうしても治したい!!』と手術や放射線治療等を施したが、7月に亡くなった。
プーロンにはかなりの負担をかけてしまい後悔がないわけではない。
3度目の手術後、後ろ右足が動かなくなり身体が不自由になった。
それでも、一縷の望みをかけて、車で浜松から岐阜まで放射線治療に連れ回してしまった。
しかし、手遅れで何をしても無駄だった。
“何もしなければ今も生きていたのでは”と悔やむ。
高額な治療費も無駄な散財だったのでないか…。
それでも、病院の先生方は全力で治療にあたり、私達を励ましてくれた。
何より、ガンと闘う妻の励ましになった。
下駄箱の下にこもるようになる。
手術後三本の足となる。
健気にがんばってトイレまで行く。
途中、何度も転んで、それでもトイレシーツまで行く。
可哀想で泣ける。(僕は君に厳しくトイレをしつけたから)
声かける。
出来る限り動かなくて済むように、ベッドの横にもトイレシーツを敷くが、遠いトイレまで這って行く(泣ける)
トイレで力尽きて、戻れなくて“ウォ~ウォ~”と悲しげな声で鳴き、僕に救いを求めるようになった。
ウンチまみれの体を拭きベッドに戻してあげる。
ベッドをトイレのそばにおいてあげた。
この頃が大変だった。
部屋中がウンコまみれで、トイレシーツと除菌スプレーが手放せない生活。
これがプーロンと僕の最後の夜だった。
身体を拭いてやり抱きしめて、たくさん話をした。
体が不自由だからと抱っこして部屋の隅々まで見せてあげた。
翌日の午後、同居しているプーロンの娘・ピータンが騒ぎはじめた。
行ってみると、ピータンはプーロンに顔を寄せて、プーロンを見つめている。
『プーロン!!』と呼んでも動かない。
異変に気づき、妻も子供も来た。
妻が抱くと何回か大きく深く息をした。
魂を吐き出すように見えた。
天国に逝った。
みんな泣いた。
僕も…妻も…子供も…みんな泣いた。
ある本で『死ぬことは自然の事だから潔くお別れしましょう』と読んだ事がある。
それでも、1日でも長く…1分でも長く…もっと長く一緒暮らしたかった。
プーロン、13年間ありがとう。
今でもその時の日記を読み返すと涙が止まらない。
息子が春から一年生となり、学校行事が多く忙しい時期。
妻の入院中は家事や子供の世話、病気の犬の介護。
仕事にも影響あり、岩田店の移転計画も頓挫させてしまった。
毎日通った妻の見舞い帰りには、子供は車の中で寝てしまう。
子供も疲れていたのだろう。
日常、あたりまえの日々のはずだった。
毎晩『お母さん』と泣いていた子供も、今では学校に慣れて元気で通っている。
妻も心身ともに元気になった。
僕は頓挫させ遅れてしまった岩田店の仕事を頑張っている。
試練を乗り越え、家族の絆も強くなった。
家族で秋のお祭りを楽しんだ。
